“衛生士嫌い”から始まったスタッフ自立型経営の本質とは?
Series:歯科経営者インタビュー
医療法人 雅心会
理事長
中村 雅彦
Masahiko Nakamura
に掲載されたものです。
- 20代で開業された。
- はい。29歳だったと思います。中村の名前で歯科医院を開業することは、工務店を切り盛りしながら僕を歯学部に通わせてくれた両親の希望でもありました。大学を出てから4年間、大阪府内で勤務医として休みなく働きました。多くの患者さんを診ていく経験を経て、親との約束もあり、そろそろいいかなと思い開業しました。
- 何名体制でスタート?
- 僕のほか、4名です。新卒の衛生士が3名、新卒の助手が1名。当時、まだこの辺りでは「歯科で働くことはステータス」みたいな認識があって、求人募集をかけると助手は100名を超す応募がありました。衛生士が採れたのは、新規オープンというフレッシュさもあったように思います。採用には困りませんでしたが、そ
- 人材マネジメントに苦労した?
- 助手とは比較的うまくやれました。しかし、衛生士には閉口することが多かった。3名の衛生士のうち、2人はトイレ掃除をしてくれない。夜、駐車場の電気もつけてくれない。3カ月後、残りの衛生士の方が辞めると言い出す。どうやら、その動かない2人の衛生士が陰湿なタッグを組んでいたようで…。僕には何も見えていなかった。結局3人とも辞めるのですが、僕の衛生士嫌いはそこから始まりました。
- 衛生士を採らずに経営を?
- ええ、10年ぐらい。衛生士は自分の要求ばかりを言う人。助手たちと楽しく働ければそれでいいと。でも、その助手たちも、長く勤務してくれることはまれでした。医院の患者さんに対する方針には同調してくれます。でも、どこかで息切れしてしまう。スタッフを幸せにすることができていないことで、患者さんを幸せにしたいと思ってやっている自分の診療についても、何か胸を張れない思いを抱くようになりました。
- 何に対して胸を張れない?
- 社会、両親、家族、そして自分の価値観に対して、でしょうか。誰かを幸せにしていないのに、誰かを幸せにしていますなんて、胸を張って言えないと思うのです。そんなとき、気がついたんです。患者さんが院長の僕と話すときには見せないような笑顔を、スタッフには見せていることに。僕にはできないことを、彼女たちが実現していることに。
- 彼女たちへのリスペクトが生まれた。
- は、自分と患者さんしか見ていなかった。彼女たちが見えていなかった。彼女たちにしかできないことがあり、それも含めて一個の歯科医院が成立していました。彼女たちの成長を止めていたのは、ほかならぬこの卑小な自分だったのです。新たな気づきを胸に、その後衛生士の採用を再開しました。衛生士が自立して活躍できる組織づくりを進めています。今もって、彼女たちから学ぶことの多い毎日です。
- PROFILE
- 1964年和歌山県生まれ/1988年朝日大学歯学部卒業/同年~大阪府内の複数の診療所で勤務医として経験を積む/1993年中村歯科開業/2008年法人化/現在、大阪・和歌山で計3店舗を運営、2016年4月に京都分院開業予定
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